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日本のいじめ:藤原紀香と陣内智則の結婚に絡めて

なぜか日本では子供のいじめだけが問題視される。大人のいじめを問題としないのだから、いっそのこと子供のいじめも問題としなければよい。もちろんこれは冗談で、本当は大人のいじめも子供のそれと同じように問題視すべきなのだ。

例えば過労死というのはいじめの結果として死に追いやられたということだし、サービス残業などというまやかしの言葉で表現される企業による賃金の搾取もいじめの一種だ。もっと分かりやすい例は「若手お笑い芸人」と呼ばれる人たちが、肉体的あるいは精神的にいじめられることで成り立っているテレビ番組だ。

どこかで「いじめるのもいじめられるのもその人の個性だ」という小学生の言葉が紹介されていたが、日本の「お笑い番組」を観ていればそのような認識になるのも全く不思議でない。

また、次のようなニュース記事を読むにつけ、全く暗い気持ちになる。

藤原紀香と陣内智則 気になる両者の微妙な温度差

身動き取れない陣内智則

吉本興業の中間決算発表会見で、報道陣が吉野伊佐男社長に対して陣内の結婚について質問したときは、吉本のベテラン芸人が「まだ決まったわけじゃない!」と吐き捨てた。おめでたい雰囲気など、みじんもない状況だ。

これは明らかにいじめなのだが、同じ労働者として陣内の応援をすべき立場のベテラン芸人までもが、敵に回っているのは滑稽としか言いようがない。このベテラン芸人は吉本興業と悪魔の契約を交わして、魂を売ってしまったのだろう。

この記事を書いた記者でさえ、会社が社員のプライベートに口を挟むことをいじめだと認識していないようだ。これを社会問題とするには、陣内が自殺し、遺書に「吉本興業にいじめられたから自殺する」とでも書くしかないのかもしれない。

などと考えていたら、外からみる日本のいじめという記事を見かけた。
ぜひ外からみる日本のいじめを読んでいただきたいが、実際に読む人はあまりいないだろうから、ポイントを引用する。

ドイツをはじめヨーロッパ諸国では、モビング(=いじめ)は、学校より企業などの職場で問題にされることのほうが多い。反対に(、少し変わりつつあると聞くが、)日本では職場のいじめが話題にならない。これは私たちの学校観と関係があるのではないのか。私たちは「おとなの世界」のいじめをしかたがないと思っているだけに、その分だけ、「おとなの世界」の正反対の学校という「子どもの世界」でいじめがあってはならないと考える。日本で多くの学校がいじめを隠す傾向があるのはこのためである。

なるほど、大人のいじめは無くならないとあきらめているというわけだ。

ただ、この記事の焦点は子供のいじめと自殺についてである。そこで、ドイツの子供はいじめられてもなぜ自殺しないかという分析を見てみよう(ちなみに我輩が住んでいる中国でもいじめが原因で自殺するような子供はほとんどいない)。

学校は通学生徒にとって重要なコミュニティーである。とはいっても多くの子どもたちはこのような地域の団体やコミュニティーに参加し、そこで他学校の、また別の年齢層の子どもや、また大人と接触する機会がある。こうして学校が唯一の世界でないために、そこでいじめにあってもその体験を相対化することができて、両親やその他の人々に相談しやすいのではないのか。ドイツでもいじめにあった子どもたちは自殺を考えるそうであるが、実行されないのはこのような要因があるからである。

ドイツでは学校でいじめられても、例えば学校の外にあるサッカークラブで学校以外の人と行動を共にすることで、学校でのいじめがそれほど大きな比重を占めなくなるということだ。

一方、我が祖国ではというと

子どもたちは、ドイツの子どものように地域の集団やコミュニティーに所属しないで、学校でクラブ活動をする。また授業が午前中しかないドイツと異なり、日本の子どもたちは長時間学校にいる。その結果、学校こそ子どもたちの大多数にとって所属する唯一の世界であり、同時に一番重要世界でもある。学校生活が生活の大きな部分を占めているという点で、日本の学校は全寮制学校に接近する。

つまり学校でいじめられるということは、もうほとんど逃げ道がないということだ。

なんのことはない、ここでの学校を勤め先に置き換えれば大人の現状となる。例えば「吉本興業こそ陣内にとって所属する唯一の世界であり、同時に一番重要(な)世界でもある」となる。だからこそ勤め先ごときに口出しされるいわれのない結婚に関してさえ、自分で決定することができないのだ。

藤原紀香と陣内智則の結婚は、吉本興業がいじめをしているという認識が広がるだけで解決できるほど簡単なことなのだが、はたして日本社会は若い二人を祝福できるだろうか。
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【2009/01/04 04:42】 | # [ 編集]

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【2009/01/04 08:21】 | # [ 編集]

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【2009/01/05 15:33】 | # [ 編集]

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【2009/01/05 17:41】 | # [ 編集]

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【2009/01/05 21:59】 | # [ 編集]

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